中日新聞「満知子せんせい」第一部(2024年1月23日~2月20日連載)

名古屋のフィギュアスケート指導者、山田満知子コーチの自叙伝「満知子せんせい」を2024年1月から中日新聞で不定期連載しています。

第一部(全20回)は2024年1月23日~2月20日に中日新聞朝刊に掲載。
第二部は3月中旬から再開予定。

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【中日新聞「満知子せんせい」

「満知子せんせい」第一部は、山田満知子コーチの生い立ちから、1972年札幌オリンピックまで。

山田満知子(旧姓:木下)は1943年(昭和18年)6月、名古屋市生まれ。
父・木下武吉(たけよし)は山梨出身。弓道をやっていて、戦前に明治大学を卒業。
父の考えで幼いうちからフィギュアスケートを習う。高校のころには国体などで全国大会優勝するぐらいになったが、厳しい指導が好きになれず、大学入学で現役引退。
小中学校は名古屋市立で、高校・大学は地元の名門女子校・金城学院。姉兄たちは勉強優先で地元トップの進学校・旭丘高校へ行ったけど、満知子先生はフィギュアスケートのために融通の利く私立へ。
1962年に大学生になってから県スケート連盟の手伝いなどしているうちに子供たちの指導を保護者から頼まれるようになる。
大学卒業して間もなく結婚、1969年に長女を生んで子育てに専念しようとするが、保護者達に頼まれてすぐにコーチ復帰。
プロのコーチになる決意をして、1970年代初めに大阪の山下艶子コーチのもとに生徒たちを連れて指導を受けに行く。
(山下艶子さんは、佐藤信夫コーチが中学生から現役引退まで指導を受けていた方です)
1972年の札幌オリンピックはジャネット・リンの演技を現地観戦。

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印象に残ったお話。

>小学生になった山田満知子(旧姓木下)は、満を持してフィギュアスケートを始めた。ところが1950年代は今のようなプロのコーチもおらず、威圧的な男性コーチたちの理詰めの指導に、心はまったく躍らなかった。この苦い記憶が、指導者としての指針に大きく影響を与える。
(満知子せんせい(8)もう少し好きだったら…スケートリンクの苦い記憶)

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特番「なつかしい を あたらしく ~NHK名古屋テレビ放送70年~」◇NHK総合(愛知・岐阜・三重)2024年3月1日(金)
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伊藤みどりさんの小学5年生の時の練習風景や、山田満知子コーチの1960年国体の演技などお宝映像が出てきます。
※1週間、NHKプラスで見逃し配信



《関連書籍》

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