名古屋のフィギュアスケート指導者、山田満知子コーチの自叙伝「満知子せんせい」を2024年1月から中日新聞朝刊で不定期連載しています。
(原則、火曜日~土曜日掲載。祝日の翌日は休載)
第一部(全20回)は2024年1月23日~2月20日に中日新聞朝刊に掲載。
第二部(全36回/#21~#56)は2024年3月19日~5月11日に中日新聞朝刊に掲載。
第三部(全20回/#57~#76)は2024年6月4日~6月29日に中日新聞朝刊に掲載。
第四部(全15回/#77~#91)は2024年8月20日~9月7日に中日新聞朝刊に掲載。
第五部は10月上旬掲載開始予定。
☆山田満知子コーチは1943年6月26日生まれ、81歳になりました。
中日新聞のサイトで記事を公開しています(会員限定記事)。
☆中日プラス会員(中日新聞定期購読者とその家族は無料で登録できます)。
☆中日プラスプレミアム会員は月額330円。
「満知子せんせい」第四部は浅田真央編。
浅田真央さんが山田満知子コーチの教えを受けていた時のことを、真央さんと満知子コーチそれぞれにインタビューして紹介。
指導を受ける前のそれぞれの印象から、語ってもらっています。
(指導期間は2001年春・小学5年から2006年夏・高校1年まで)
今回の連載記事を書いている高橋隆太郎記者が初めてフィギュアスケートを取材したのが2002年12月の京都で行われた全日本選手権。まだノービスの小学生6年生だった浅田真央さんが特例でシニアの全日本選手権に出場して7位に入り、大きな話題になった大会です。
真央さんが満知子コーチのもとに来たのが2001年の春、小学5年生になるころ。
お母さんの強い希望で、姉妹ともにほかのコーチのところから移籍してきました。
(補足すると、それまで練習拠点だった星が丘のリンクが閉鎖してリンク難民になっていたのも遺跡の大きな理由でした)
2005年3月の世界ジュニアで優勝。
2005-2006シーズンはシニアのグランプリシリーズに出場し、グランプリファイナル優勝。
しかし2006年2月のトリノオリンピックは15歳の年齢制限で出場できず。
2005シーズンは満知子コーチがリンクで転倒して頭を打って体調を崩し、海外の試合についていけないトラブルがありました。
2006年夏、高校1年の時にアメリカのコーチのところへ移籍。
海外への移籍はコーチとお母さんが話し合って決めました。それは優れた才能と魅力を持ったスケーターにもっと上を目指してほしいという愛情からの決断でした。
伊藤みどり編が36回もあったので、浅田真央編が15回というのは拍子抜けしましたが、本格的シニアシーズンには満知子コーチのもとを離れていたんですね。
※ここからは補足。
真央さんはシニアに上がって数々の国際大会で輝かしい成績を収めてきましたが、何度かコーチを変更することになります。
現役当時は本人のわがままのようにとられていましたが、のちにお母さんが肝臓の病気で入退院を繰り返していて、できるだけ日本にいたいという事情があったことがわかります。
真央さんにとって満知子コーチのところにいた時代は、母の愛に包まれて自分のスケートに集中すればいい幸せな時代だったのでしょうね。
第五部は村上佳菜子さんか、宇野昌磨さんか。
小岩井久美子さんを詳しく取材したから、村上佳菜子さんを抜かすとは思えませんが。
《関連記事》
▽中日新聞「満知子せんせい」第一部(2024年1月23日~2月20日連載)
▽中日新聞「満知子せんせい」第二部・伊藤みどり編(2024年3月19日~5月11日連載)
▽中日新聞「満知子せんせい」第三部・ポストみどり編(2024年6月4日~6月29日連載)